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新約聖書を成立年代順に読むと、全く違った景色が見えてくる。(2)


先日、私は「新約聖書を成立年代順に読むと全く違った景色が見えてくる」と題して、投稿しました。皆様、違った景色が見えたでしょうか?
今回は2回目になります。では、新約聖書で違った景色とはどの様な景色でしょうか?
勿論、今まで私たちが見ていた景色とは全く違う景色と言うことです。
新約聖書において、今まで見ていた景色とは「カトリック、プロテスタント教会が作って来た既成のキリスト教神学」を指しますが、ここでは、特に、その本丸である「十字架贖罪論」を指します。ご存知の様にその内容は「イエス様は十字架に掛かるために来られ、全ての人の罪を贖うために十字架で死んで下さり、三日目に復活された。そして、その十字架は絶対予定であった。そのイエス様を信じる事によって、私たちは罪から救われる。」と言うものです。この新約聖書に書かれてある「十字架贖罪論」を覆す事は、ほぼ不可能です。何故ならば、新約聖書は「十字架贖罪論」のために書かれたものだからです。まるで、金太郎飴の様なものです。どこを切っても同じなのです。どこから読んでも、どこを分析しても、イエス様は死ぬために来たという上記の「十字架贖罪論」に行きつくのです。


ところで、新約聖書の初めにある、四つの福音書を読んで行くと「イエス様の生誕、伝道、そして、十字架の死」へと繋がり、イエス様は十字架で死ぬ為に来たと「十字架贖罪論」へと結論付けされています。その後、使徒行伝、パウロ書簡と続きます。
四つの福音書にある様に、イエス様の十字架の死は紀元後約30年です。そして、約20年後の紀元50-51年にキリスト教最古の文献であり、パウロによって最初に書かれた手紙が「テサロニケ第一の手紙」です。この手紙は四つの福音書の中で最も古い「マルコの福音書(成立約65-70年)より15年ー20年前に書かれたものです。


普通に、これらの四つの福音書に書かれてある内容を読んだ後に、テサロニケ第一の手紙を読むと、少なからず違和感を感じます。この手紙には、イエス様の十字架の死につての経緯や意義、罪からの救い、イエス様が語られた言葉、たとえ話、奇跡、預言、預言の成就、人の子について・・・・・・・などが書かれていない事が分かります。しかし、パウロは35年頃、エルサレムに行き15日間滞在し、ペテロ、主の兄弟ヤコブと会見しているのです。(使徒九章26-28節、ガラテヤ人への手紙一章18-20節)後日、詳しく書きますが、パウロ書簡にはイエス様の言葉は無く、イエス様の言葉と誤解するような旧約聖書の聖句が多く書かれてあるのです。
パウロの直筆であるテサロニケ第一の手紙には十字架贖罪論に関係する内容は一切書かれておらず、書かれてあるのは「イエス様の死と復活、雲に乗ってくるという再臨」についてだけなのです。

つまり、イエス様の十字架の死以降、20年間の原始キリスト教会の「教義」や十字架の意義などはその手紙の中には無く、ただ、ひたすらにイエス様の復活を信じ、再臨だけを求め続けて来た信徒の姿だけが書かれてあるのです。パウロ自身も他の信徒たちと同じように、イエス様の再臨だけを強く信じていました。(4章15節)


テサロニケ第一の手紙の中で、イエス様の復活と再臨について述べた箇所を幾つか上げると、一章10節に「そして、死人の中からよみがえった神の御子、・・・・イエスが、天から下ってこられるのを待つようになったかを、・・・・・」
二章19節には「実際、わたしたちの主イエスの来臨にあたって、・・・・・」
三章13節には「そして、どうか、わたしたちの主イエスが、そのすべての聖なる者と共にこられる時、・・・・・・」
四章14-17節には「・・・・イエスが死んで復活されたからには・・・・生きながらえて主の来臨の時まで残るわたしたちが、眠った人々より先になることは、決してないであろう・・・・・彼らと共に雲に包まれて引き上げられ、空中で主に会い、・・・・・・」
五章23節には「・・・・・わたしたちの主、イエス・キリストの再臨のときに、・・・・」
とあり、このテサロニケ第一の手紙がイエス様の「復活と再臨」を主題とした手紙であることが分かります。


後に、パウロが「十字架贖罪論」を書いた目的は熱狂的にイエス様の再臨を信じ、求める信徒に対して「イエス様の再臨の遅延」(テサロニケ第二の手紙、第二章)を説明することが出来ず、彼らを説得する為に編み出されたものが「十字架贖罪論」だったのです。
それ故に、テサロニケ第一の手紙には、「十字架贖罪論」の説明もなく、罪からの救いというパウロ自身の考えも無いのです。それなのに、どうしてイエス様の生誕から3年公生涯を記し、罪からの救いを論じる「十字架贖罪論」について書かれてある四つの福音書がテサロニケ第一の手紙の後に存在しているのでしょうか?


この問題を追究していく上で、この手紙の中の幾つかの問題を理解しなければなりません。
1.福音について
パウロはテサロニケ第一の手紙、第一章5節で「私たちの福音があなた方に伝えられた時・・・・」と言っており、「私たちの福音」とは何を示すのか?と言う疑問です。
通常、キリスト教会では「福音とはイエス・キリストによる救いが完成される神の国の到来をつげる“良き知らせ”であり、またイエスがメシアとして来臨し、十字架の苦難と復活によって、贖罪の業を完成した事」(聖書辞典)を指します。テサロニケ第一の手紙では、パウロは「罪からの救いである十字架贖罪論」を語っていないので(「十字架贖罪論」を構築していないので)、「私たちの福音」とは「イエス様の十字架の死からの復活と主の再臨」となります。
他には、「神の福音」は2章2節、8節、9節にあり、「福音」は2章4節に2回、「キリストの福音」は3章1節に出て来ます。
これらもまた、パウロは「罪からの救いである十字架贖罪論による福音」に言及しておらず、これらの福音とは「イエスの復活と再臨による福音」を示しています。
ですから、この時期におけるパウロの「イエスの復活と再臨」は「罪からの救い」ではなく、この二つの概念はパウロにとって、まだ繋がっていないのです。(十字架贖罪論が構築されていく段階で繋がります。)


2.罪について
また、この手紙では「罪」と言う言葉は二章16節に1度だけしか出て来ません。
しかし、ここでの「罪」は「罪からの救いである十字架贖罪論」とは繋がっていません。


3.(主、神の)言葉について
次に、「主の言葉」に関してですが、主とは誰を指し、言葉とは何を示すのかという疑問です。「主」に関しては、1章1節に「・・・父なる神と主イエス・キリストとにあるテサロニケ人たちの教会へ」とあるので、「主」はイエス様の事を示しています。
では、「主の言葉」とは何か?何を指すのか?「イエス様の言葉」?パウロは単に「主の言葉」とだけ言い、「主の言葉」が何であるかを全く示していないのです。
「御言」は1章6節、「主の言葉」は1章8節、4章15節、「神の言葉」は2章13節に3回、出て来ます。4章2節には「私たちがどういう教えを主イエスによって与えたか・・・」
とありますが、この「教え」は、それに続く文にある様に「十字架贖罪論」ではなく、旧約聖書に出てくる道徳です。
また、4章15節に「わたしたちは主の言葉によって言うが・・・・」とありますが、ここには、具体的なイエス様の言葉はなく、テサロニケ第二の手紙三章6節「兄弟たちよ。主イエス・キリストの名によってあなたがたに命じる。」とある様に、パウロがイエス様の名前を借りて表現したものであり、パウロが期待を込めたイエス様再臨の言葉です。 
これらの「言葉」にも「罪からの救いである十字架贖罪論」は出て来ません。


4.救いについて
「救い」と言う言葉も一章10節に出て来ますが、これは「怒りからの救い」と表現され、二章16節の「救い」は「異邦人に救いの言葉」と表現され、五章8節は「救いの望みのかぶと」と表現され、五章9節では「・・・・わたしたちの主イエス・キリストによって救いを得るように定められたのである。」とあるが、これらの「救い」について、パウロは「罪からの救い」とは言っておらず、ここでも「イエスの復活と再臨」による救いを示しています。
これらの「救い」は「罪からの救いである十字架贖罪論」とは一切関連性がないのです。
キリスト教では「罪と救い」は密接な深い関係にあるのですが、このテサロニケ第一の手紙では全く関係なく使われています。つまり、パウロは、この手紙をかいた時点では「罪からの救いである十字架贖罪論」は出来上がっていなかったのです。


5.結論
結論として、パウロはこの書簡を通して当地のキリスト教徒をたちを激励しており、彼らが愛の深い信仰生活を送っていることに感謝しています。
また、信徒たちの質問にも丁寧に答え、キリスト以前の死者たちがキリストの再臨の時には一緒に蘇るのことが出来るのか?との疑問にも答え、キリストの再臨の時期については、パウロ自身確信はしないものの、信徒たちの生存中に必ず来るとパウロは強調している。(四章5節)

紀元50年頃のユダヤ社会は多くの不安に満ちていた。再臨のモーセ・チウダの蜂起があり、パレスチナに大飢饉が起きた。ローマ皇帝クラウディスがユダヤ人とキリスト教徒をローマから追放したり、サマリア人とユダヤ人との衝突など混乱していた。これらに対する信徒たちに対する不安が終末思想と重なりユダヤ人社会に広がっていたのです。


最後に、紀元50-51年頃に書かれた、パウロの直筆である「テサロニケ第一の手紙」には「罪からの救いとしての十字架贖罪論」は言及されておらず、イエス様の再臨が主題であった。そうであるならば、紀元65年以降に書かれた四つの福音書における記述の「歴史性」はどうなのであろうか?歴史的事実なのであろうか?それとも、歴史的物語としての虚構なのであろうか?と疑惑を持っても不思議ではない。
勿論、今、「テサロニケ第一の手紙」だけを述べた訳ですが、今後も続けたいと思います。
この様に新約聖書の成立年代順に読むと、既に、テサロニケ第一の手紙を読んだだけで、既成のキリスト教神学の矛盾やパウロの「十字架贖罪論」の是非が見えて来るのではないでしょうか?


「十字架贖罪論」は、既に、イエス様の生存時を記録した四つの福音書の中に存在するが、実際には、この「十字架贖罪論」はガラテヤ人への手紙や福音書が書かれた時代、即ち
紀元54年以降から60年代には、その基礎となる考え方の土台は成立していたのです。



記述上、誤解、誤りがありましたらご指摘下さいます様にお願いします。
コメントを下さる方はブログ上でお願いします。また、ブログ上での議論になる事は避けたいので、質問のある方は、私のメールアドレスをご利用ください。
 aki.suomi3@gmail.com



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コメント

No title

イエス・キリストの死後20~30年間の初代キリスト教時代の出来事は、こんにちの再臨主お父様聖和後の出来事―弟子達の衝突・分裂など諸混乱を考察する上で、とても参考になります。「マルコによる福音書」が書かれる以前、すなわちイエス死後約30年間ほどは、十字架贖罪論がまだ定立されていなかったとの主張は、とても興味深いものです。次回を楽しみにしています。

Re: No title

> イエス・キリストの死後20~30年間の初代キリスト教時代の出来事は、こんにちの再臨主お父様聖和後の出来事―弟子達の衝突・分裂など諸混乱を考察する上で、とても参考になります。「マルコによる福音書」が書かれる以前、すなわちイエス死後約30年間ほどは、十字架贖罪論がまだ定立されていなかったとの主張は、とても興味深いものです。次回を楽しみにしています。

Miyamoto 様

コメントを頂きありがとうございます。

貴兄は「こんにちの再臨主お父様聖和後の出来事―弟子達の衝突・分裂など諸混乱を考察する上で、とても参考になります。」
と言われていますが、全く仰る通りだと思います。今、私はこの件に関して小論を書いていますが、今日の混乱の原因はここにあり、お母様と家庭連合の無知から来るものと思っています。キリスト教史を学べば、同時性のサイクルが巡ってくる事は理解できるはずなのですが・・・・そうすれば、原因を断てば良かったわけです。

貴兄が言われた、「イエス死後30年間」に、原始キリスト教内部でもユダヤ教・イエス派(12弟子中心)と異邦人・イエス派(パウロを中心)が対立、分裂してしまいました。その原因は「一体化」でした。「一体化」出来なかった故に、ユダヤ教・イエス派は第一次ユダヤ戦争後には歴史上から消えてしまいました。残った異邦人・イエス派は後にカトリック教会を形成し、国家を作り生き残っていきます。
ですから、家庭連合内部で、お父様が立てられた代身者、相続者、後継者である亨進様にお母様が王位を認め「一体化」すれば、原始キリスト教の分裂を蕩減復帰出来ました。

今後ともよろしくお願いいたします。





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