記事一覧

スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

「日本帝国の韓国併合に対するカトリック教会の認識と3・1独立運動、神社参拝」徐正敏 神学教授

最近読んだ本の中で面白い本があったので紹介したい。


韓国カトリック教会の神学博士、教授の見解である。
「韓国カトリック史概論 (その対立と克服) 徐正敏 著」 

その中の109ページに「日本帝国の韓国併合に対するカトリックの認識と3・1独立運動、神社参拝」とある。そこから引用したい。

1900年代以降、韓国カトリックは韓国が近代文物を受容し、社会的な計画を推進することに積極的であった。特に社会啓蒙運動、教育活動、社会事業、そして「京郷新聞」の発行に見られるように民衆を教え導くことに貢献した。しかし、基本的には韓国カトリックの指導者たちは、教会と信仰共同体の保全、その発展が目標の中心にあり、韓国の政治的問題、独立の維持などには、関心を示さなかった。1905年に第二次日韓協約(乙巳保護条約)によって韓国が日本の保護国になり、統監府が設置されて以降に各地で起こった抗日運動、義兵闘争などにカトリックはむしろ批判的な態度を堅持した。もちろん、これは積極的な抵抗運動を展開したプロテスタントと大きく区別される点である。すなわち、前述した通り、教会や信仰共同体の次元においては、現実的な国家権力、政治的な力に対して順応する立場を示し、ただ、個人的な次元の一部から抵抗がなされただけであった。さらに、安重根事件以後にもカトリック教会の公式的立場は、殺人がどの様な理由によっても正当化されないという理論によって、彼の行動を強く批判し、ミューテル司教は安重根を教会から破門した。

一方、韓国の民族独立運動史の絶頂は、1919年の3.1独立運動である。これは韓国各界、各層の独立運動勢力、特にプロテスタント・キリスト教、天道教(東学)、仏教の一部など、各宗教系指導者たちが中心となり展開した全民族的な独立運動であった。
しかし、韓国カトリックは、この運動にはほとんど参与せず、指導者たちも民族代表に加わらなかったのはもちろん、信徒たちのなかで個人的な次元で運動に関与する者に対して、教会は圧力を行使したのであった。さらに、この運動に参与したカトリック神学生たちを学校から退学させることもあった。

カトリックの強力な中央集権的な教会組織の中心指導者の大部分が西洋人神父であった点、朝鮮総督府との協力関係の緊密性などによってカトリック教会の日本帝国下における態度は、極度な順応を見せたのである。3・1独立運動の態度ひとつをとっても、日本帝国下における韓国カトリック教会の韓国民族問題に対する立場を十分に把握できるといえる。

一方、日本帝国下の韓国キリスト教が直面した、もうひとつの問題は1930年代以降に強まった神社参拝強要の問題であった。もちろん、カトリック教会初期、すなわち1920年代には神社参拝の性格が宗教的儀式である可能性があるという判断から否定的な立場を表明していた。しかし、1932年頃、日本のカトリック教会が神社参拝は宗教的な儀礼ではなく、ただの国家儀礼という性格しか持っていないという立場を表明し、さらにローマ教皇もこれを国民の道理として認めたことにより、否定的な雰囲気は一気に変化した。これに韓国カトリックも神社参拝を承認し、これによって日本帝国当局との摩擦も生じなかった。

以上、注目してきたように国権喪失期から日本帝国下の末期、解放に至るまでカトリック教会と日本帝国当局は密接な関係でないはずがなく、また韓国の民族独立運動勢力とカトリックの関係は、相当な距離を置いたものであったことが確認できる。
(109-111ページ、以上、下線は私が引きました)

徐 正敏(ソ・ジョンミン)
1956年、韓国大丘生まれ。延世大学神学科卒業 神学博士
延世大学教授を経て、現在、明治学院大学教授


面白いと思った方はクリックを!
面白くないと思った方もクリックを!

にほんブログ村 哲学・思想ブログ 家庭連合(統一教会)へ
にほんブログ村

にほんブログ村 政治ブログ 国際政治・外交へ
にほんブログ村




スポンサーサイト

コメント

No title

こんばんは。その時代に韓国カトリックがそのような態度を取っていたとは知りませんでした。驚きです。
カトリックは「強力な中央集権的な教会組織」とありますが、支配者に対する忠誠心を要求するものがあるのでしょうか?
プロテスタントが出てきた歴史を考えると、納得するところもありますが。
その当時、カトリックはいわゆる親日派だったのですね。

Re: No title

こんにちは!
コメントをありがとうございます。

こんばんは。その時代に韓国カトリックがそのような態度を取っていたとは知りませんでした。驚きです。

実は、私もこの本を読み初めて韓国カトリック教会の姿勢を知りました。私は大東亜戦争中、バチカン、日本のカトリック教会は親日的であり、ローマ法王ピオ11世は「支那事変は侵略戦争ではない。」と言われ、日本を支持していました。その理由はソ連、中共の共産主義の脅威にあったと思われます。また、日本の敗戦後、アメリカは靖国神社を壊し、ドッグ・レース場にしようとしたのを止めたのも日本のカトリック教会でした。この辺りまでは知っていました。多分、この様なカトリック教会の姿勢が韓国にも影響していたと思います。


カトリックは「強力な中央集権的な教会組織」とありますが、支配者に対する忠誠心を要求するものがあるのでしょうか?


カトリックは元々ローマ法王を中心とする「強力な中央集権的な教会組織」ですが、これもプロテスタント教会と比較してのものです。しかし、支配者(この場合、日本又は天皇)に対する忠誠心の要求があったとは思いません。カトリック教会の信者は法王は天皇や国王を下に置いています。


> プロテスタントが出てきた歴史を考えると、納得するところもありますが。



韓国におけるキリスト教伝道は1593年にイエズス会のグレゴリオ・デ・セスぺデスが最初ですが、彼は文禄・慶長の役に従軍司祭として来ただけであり、本格的には1784年以降になります。李承薫が北京で洗礼を受け帰国し、平壌で礼拝所を設立しました。1845年に金大建が朝鮮最初の司祭となり布教しました。その後、歴代の李王朝、両班たちによってカトリック司祭、信者は日韓合邦まで激しい迫害を受けます。1910年の日韓合邦後、日本総督府は日本組合キリスト教会の指導者海老名弾正に朝鮮宣教を依頼し、渡瀬常吉を中心に朝鮮総督府より莫大な資金援助を受けて韓国全土に伝道を繰り広げました。
定住したプロテスタント宣教師は1886年にメソジスト派と長老派の宣教師によって伝道が始められました。

ここで重要な事は1800年以降、数々の迫害によってカトリックの司祭、信者は殺害されました。特に、1886年、大院君政権下では司祭9人と信者8000人が処刑される丙寅教獄が起きました。

ここからは、私の個人的な意見ですが、プロテスタントの牧師は1886年頃に韓国に来て、大院君、両班たちによる迫害、虐殺を受けていません。しかし、カトリック教会は長期間迫害を受け、多くの犠牲者を出した事により、日本の統治に対して平和裏に伝道、生活できるのならば、大きな拒否感はなかったのではないでしょうか?
これに対して、貴族階級であった両班は自分たちの利権を全て失い、共産主義者になったり、反日闘争を繰り広げたものと思われます。李承晩元大統領はカトリック出身ですが、後にメソジスト派になりました。
因みに、3.1運動では4人のメソジスト教会牧師が民族代表33人に名を連ねています。



> その当時、カトリックはいわゆる親日派だったのですね。

勿論、一部のカトリック信者でも民族主義者は反日的ですが、全体的には親日的だったと思います。

どこか間違いがありましたら指摘してください。

No title

詳しいご説明ありがとうございました。^^
カトリックが何故そうなっていったのか、ならざるを得なかったのか、歴史を知り理解できました。

Re: Re: No title

> こんにちは!
> コメントをありがとうございます。
>
>> こんばんは。その時代に韓国カトリックがそのような態度を取っていたとは知りませんでした。驚きです。
>
> 実は、私もこの本を読み初めて韓国カトリック教会の姿勢を知りました。私は大東亜戦争中、バチカン、日本のカトリック教会は親日的であり、ローマ法王ピオ11世は「支那事変は侵略戦争ではない。」と言われ、日本を支持していました。その理由はソ連、中共の共産主義の脅威にあったと思われます。また、日本の敗戦後、アメリカは靖国神社を壊し、ドッグ・レース場にしようとしたのを止めたのも日本のカトリック教会でした。この辺りまでは知っていました。多分、この様なカトリック教会の姿勢が韓国にも影響していたと思います。
>
>
>> カトリックは「強力な中央集権的な教会組織」とありますが、支配者に対する忠誠心を要求するものがあるのでしょうか?
>
>
> カトリックは元々ローマ法王を中心とする「強力な中央集権的な教会組織」ですが、これもプロテスタント教会と比較してのものです。しかし、支配者(この場合、日本又は天皇)に対する忠誠心の要求があったとは思いません。カトリック教会の信者は法王は天皇や国王を下に置いています。
>
>
> > プロテスタントが出てきた歴史を考えると、納得するところもありますが。
>
>
>
> 韓国におけるキリスト教伝道は1593年にイエズス会のグレゴリオ・デ・セスぺデスが最初ですが、彼は文禄・慶長の役に従軍司祭として来ただけであり、本格的には1784年以降になります。李承薫が北京で洗礼を受け帰国し、平壌で礼拝所を設立しました。1845年に金大建が朝鮮最初の司祭となり布教しました。その後、歴代の李王朝、両班たちによってカトリック司祭、信者は日韓合邦まで激しい迫害を受けます。1910年の日韓合邦後、日本総督府は日本組合キリスト教会の指導者海老名弾正に朝鮮宣教を依頼し、渡瀬常吉を中心に朝鮮総督府より莫大な資金援助を受けて韓国全土に伝道を繰り広げました。
> 定住したプロテスタント宣教師は1886年にメソジスト派と長老派の宣教師によって伝道が始められました。
>
> ここで重要な事は1800年以降、数々の迫害によってカトリックの司祭、信者は殺害されました。特に、1886年、大院君政権下では司祭9人と信者8000人が処刑される丙寅教獄が起きました。
>
> ここからは、私の個人的な意見ですが、プロテスタントの牧師は1886年頃に韓国に来て、大院君、両班たちによる迫害、虐殺を受けていません。しかし、カトリック教会は長期間迫害を受け、多くの犠牲者を出した事により、日本の統治に対して平和裏に伝道、生活できるのならば、大きな拒否感はなかったのではないでしょうか?
> これに対して、貴族階級であった両班は自分たちの利権を全て失い、共産主義者になったり、反日闘争を繰り広げたものと思われます。李承晩元大統領はカトリック出身ですが、後にメソジスト派になりました。
> 因みに、3.1運動では4人のメソジスト教会牧師が民族代表33人に名を連ねています。
>
>
>
> > その当時、カトリックはいわゆる親日派だったのですね。
>
> 勿論、一部のカトリック信者でも民族主義者は反日的ですが、全体的には親日的だったと思います。
>
> どこか間違いがありましたら指摘してください。

コメントの投稿

非公開コメント

プロフィール

2000green

Author:2000green
FC2ブログへようこそ!

上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。